注染は大阪生まれ
注染の歴史
history of CHUSEN注染は明治20年ごろに大阪でうまれました。東横堀川沿いに江戸時代からあった紺屋町で生まれたと考えられています。
大阪で発祥した注染は、はじめは手拭の染めに用いられ、日清戦争の頃には「然れども手拭に至ては當市は殆ど他にて競争する事能わざるの地位を占めたり(商工諸組合状況調)」とあるように、大阪は手拭いでは日本一の大産地に成長しました。
その背景としては
- 江戸時代から河内、和泉、摂津と木綿の3大産地がありました。
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化学染料は明治16年以降神戸税関を通じて輸入されていました。
特に、輸入業者として京都の「長瀬産業」大阪の「稲畑産業」が活躍していました。 - 布海苔、フイゴ、柿渋など染料以外の原材料業者も多数存在していました。
明治36年に大阪は天王寺で開催された第5回内国博覧会において、大阪の「はり久染工場」が注染で染色したゆかたを出品し評判を呼びました。これ以降ゆかたと言えば注染ゆかたを指すようになりました。
大正時代には、大阪の注染工場の職人たちは東京や浜松、名古屋と全国にスカウトされ、注染という日本固有の染色法が全国に広まりました。